第82回読書会 2022年12月29日(木)午後2時30分~午後5時00分 @Zoom
■レポーター:松丸、板垣
参加者:菅原、小宮山、高瀬、大武、板垣、松丸、田浦
今回はLight in Augustの第三章を読み終えた。章の前半部分では、物語の七年前にジェファソンにやってきたバイロン・バンチの視点を通し、教会牧師として赴任した直後のハイタワーの様子や、彼が「教会と聖職を失う」ことになった経緯が語られる。(前半を担当した松丸は“he lost his church, he lost the Church”という表現に注目した)
南北戦争に従軍した祖父を崇めるハイタワーは、ジェファソンに赴任してからというもの、町の人々に祖父の武勇伝を語り聞かせることにやっきになっている。その熱量は説教壇での話しぶりにも表れており、それはまるで、彼が神の教えと祖父の勇ましい従軍譚とを区別できないかのようだったという。発表者が取り上げた「ごちゃまぜにする」(Get all mixed up / all mixed up)」というフレーズは、本章の意図的な読みづらさや、情報の把握しづらさを象徴しているように思えた。全体の討論では、ハイタワーの話を当時のバイロンにしたのは誰なのかという点に注意が払われ、本章は「町の人々がバイロンに語ったことを、バイロンが語るという伝聞形式におとしこまれている」という確認がなされた。
ただし、後半を担当した板垣は、本章の、特にその後半部分の語りの形式について、「どこからが伝聞で、どこからがバンチ自ら経験したことかが不明瞭である」という点を強調した。バイロンは現在のハイタワーについては自分がもっともよく知っていると思っているが、彼の過去については「町の人々」(they / the people / the town)から聞かされたのだ。語り手としてのバイロンは、自分を「町の人々」とはカウントしていないように感じられる。発表者の言葉を借りれば、「バイロンは読者の方を向き」、起きたことを一般論として述べているような印象を我々に与えている。
その後半では、ハイタワーのリンチというショッキングな出来事が語られる。ハイタワーが牧師を辞任することになったのは、彼の妻の不審死が大きく関係していた。教会には多くの記者が駆けつけ、会衆たちは彼の説教から離れていった。村八分とされたハイタワーだが、辞任後もジェファソンに留まり続けることを選択する。彼は黒人を食事係として雇ったが、それを理由にKKKからリンチ受けた。このエピソードについて、ハイタワーが黒人を雇うことそのものを(町の人々が)排斥する理由は何かとの問いかけが発表者から挙がった。
全体として、フォークナーの語りの複雑さに議論が集まっったが、本章は我々にいくつかのアメリカ文学史的記憶を呼び起こした。ハイタワーはどこか「男版へスター・プリン」のようでもあり、また説教の際の彼の”wild”な態度は、ディムズデール牧師の興奮した姿も思わせるのだ。(報告者:田浦紘一朗)
第81回読書会 2022年11月23日(水)午後3時00分~午後5時00分 @Zoom
テキスト: William Faulkner, Light in August
■レポーター:田浦、髙瀬
参加者:小宮山、大武、板垣、松丸、菅原
今回の読書会では 第2章の後半部を読んだ。対象箇所を2つに分けた上で、その前半部はクリスマスとブラウンの人物像が、工場の他の従業員の視線や伝聞から描かれる。週末にはギャンブルですってしまっているだとか、二人が土曜の夜に一緒にいたなどと語られ、さらに、すぐに仕事に来なくなるだろうというような人物評も述べられる。案の定、この2人は仕事場に来なくなってしまう。読書会での議論としては、この2人の様子が、工場の人物らの観察から構築されていくところが興味深いという意見が出た。
また、今回の範囲の後半では、工場の外でのバイロン・バンチの日常が全知の視点から語られ、そのなかでハイタワーという、ジェファソンからはじき出された牧師が新たにテクストに登場する。そして、リーナのルーカス探しは延々と続いているが、大火事を遠くに見るバイロンが彼女を工場で迎え入れることとなった。その際、リーナとバンチの視線が、バンチのリーナへの恋心によってあおられて交わらないところが、臨場感にあふれてていて面白いという意見も出た。作中人物の人物像が、多く憶測によって語られるのに対して、バンチのリーナに対しての恋愛感情の方は、前提条件かのようにあからさまに語られていた点が、とても対照的で個人的には大変興味深かった。(報告者:菅原大一太)
第80回読書会 2022年10月16日(日)午前2時~午後4時
■レポーター:小宮山、菅原
参加者:菅原、小宮山、髙瀬、大武、田浦、松丸、板垣
今回は第1章の最後と第2章の冒頭を読んだ。発表者いわく、リーナは周りの男たちの話を「ぜんぜん聞いていない」。ただ、リーナは単にぼんやりしているわけでもなさそうで、フォークナーはリーナの様子について意味を汲み取りづらいセンテンスを書き込んでいる。発表者は“[I]n reality she is waging a mild battle with that providential caution of the old earth of and with and by which she lives. This time she conquers.”という文を挙げ、私達は、“a mild battle”とは何か? リーナは何に勝った(何を制した[conquer])のか? 等々の議論で盛り上がった。発表者からは、彼女は男たちの喋りやリーナに向けられる推測に勝てた(それをやり過ごせた?)のではないかという解釈が提示された。男たちの存在は、“that providential caution of the old earth”ともかかわるのだろう。他には、“ladylike”な存在として見られたいというリーナの自意識や、リーナが買い物をするときの描写の丁寧さ、リーナの胎動を“spasm”という言葉で書くフォークナーの表現力の妥当性などを議論した。
第2章の冒頭では、発表者いわく「到着地の方の話」に視点が移る。つまり、リーナではなくバイロン・バンチの視点を中心とした語りに話が移る。“Byron Bunch knows this:” という文で章は始まる。この文一つ取り上げてみても、“this”の指す物事、現在時制の意味、コロンの機能、等々、メンバーの精読の目が細部まで行き渡り、刺激的であった。発表者は「バンチは他の人物よりも冷静で頭がいい感じ」と発言したが、これに反応して、「(バンチを通じた)情報のリリースが巧みであり、ときに把握が難しい。この感触がフォークナーのテクストなのかもしれない」という言葉が出て、なるほどと思った。他には、クリスマスの衣服の小綺麗さと、それに対する周囲の反感、人種という話題が物語に現れてきたこと、根なし草のようなクリスマスの素性を説明するセンテンスの書き方が論点として挙がった。“[N]o town nor city was his, no street, no walls, no square of earth his home”という文について、「カメラ(の視界)が狭まっていく感じがある」というコメントが出た。最後まで読んだあとに振り返ったら、きっと胸に沈んでくる一文だろう。 (報告者:板垣真任)
第79回読書会 2022年9月6日(火)午後2時~午後4時10分
■レポーター:松丸、板垣
参加者:菅原、小宮山、板垣、田浦、松丸、高橋、大武@zoom、高瀬
『八月の光』の3回目となる今回の読書会は、2年ぶりの開催となったゼミ合宿のセッションの一つとして実施した。今回は、アームステッドの家に着いたリーナが、夫人と自分とルーカスのこれまでの経緯について話をし、次の日、アームステッドはリーナをヴァーナーの店まで送り、ジェファソンまで連れていってくれとそこにいる男たちに頼むところまでを読んだ。
前半はリーナとアームステッド夫人という年齢差があり、立場も違う2人の女の様子に注目が集まった。リーナがルーカスのことを語る際、手は活発に動き、目も輝きに満ちるが、それを聞く夫人の様子はドライである。また、妊娠して子供が生まれるという時間の流れの中に、どこに結婚が入るのか、苗字が変わることについて「もう」も「まだ」も、どちらも“yet”で表されていることについても議論された。
後半は、アームステッド夫婦の寝室で、妻が夫に自分のお金をリーナに渡すように告げる場面があり、その際の“harsh bitter”と表されている夫人の気持ちが推測された。アームステッドからお金を受け取るリーナについては、“less than a pause”という表現が2回繰り返され、喜んでいるのかどうかもはっきりと示されず、「それほど驚かなかった」とも書かれており、フォークナーのどっちつかずの曖昧な筆致について我々が徐々に慣れ、楽しみ初めていることを確認できた。
個人的には、リーナとアームステッド夫人とのやり取りを読む、年齢差のある女性陣の意見交換が大変興味深かった。
*下河辺先生が軽井沢の千ヶ滝に素敵な山荘を整えてくださり、そこで開催する最初の読書会となった。はじめてとは思えないほど、読書会が自然と空間に馴染んでいたように思う。(報告者:髙瀬祐子)
第78回読書会 2022年7月10日(日)午後2時~午後5時
■レポーター:髙瀬、田浦
参加者:菅原、板垣、松丸、小宮山
『八月の光』の二回目は、ジェファソンに向かうリーナが道で2人の男とすれ違い、そのうちの一人アームステッドの馬車に拾われ、彼の家に泊まらせてもらう場面までを精読した。前半の場面ではフォークナーの文体に特徴的な「ずらし方」に注目が集まった。たとえば視線に関する描写は多くあるが、登場人物同士の視線は正面から交差することはない。一方で男たちの視線により、妊婦のリーナ―が結婚指輪をしていなといった情報はめざとく「抜き取られる」。また、固有名詞の登場の仕方にも「ずらし」が見られる。男たちの名前は何度もテクスト上に出てくるが、リーナ―の名は物語の冒頭で言及されたのみで、アームステッドの妻の名「マーサ」も、何の説明もなく突然登場するのである。また返し使用される“reckon”という動詞は南部特有の用法であり(トウェイン作品にも頻出する語彙である)、正面から視線で確認しない代わりに「見なす・考える」といった意味のreckonが多用されているのではないかという意見が共有された。
もうひとつ挙がった語彙表現は、リーナが乗った馬車のラバたちの耳の間に伸びる道について、“road curved”(曲がった)ではなく“roadcarved”(刻みつけられた)という語が使用されている点である。この語を使うことで、リーナがバーチという到着地点を見据えた「距離」を意識しているのではないかという解釈が発表者からなされた。登場人物に関しては、後半で登場するマーサと若くて人生経験が浅いリーナの描かれ方の比較、アームステッドの視点や思考から組み立てられるマーサ像についても議論された。その上で、現時点でどの人物に興味を持って読んでいるかなどの意見交換も行った。(報告者:小宮山真美子)
*読書会の後、9月に開催する夏合宿@軽井沢の打ち合わせを行った。
第77回読書会 2022年5月4日(水)午後2時~午後5時
■レポーター:菅原、小宮山
参加者:髙瀬、板垣、田浦、松丸
今回からフォークナーの長編小説『八月の光』を読み始めた。初回にあたる今回は、フォークナーの用いる手法や基本情報を確認しながら、Chapter 1の10分の1ほどをゆっくりと時間をかけて読んだ。
読書会では、リーナが登場する冒頭に注目が集まった。冒頭の一文では、外側からLenaを見つめる語り手の視点が、次第にリーナの視点と交差し重なっていく。また、フォークナーはリーナにアラバマやミシシッピといった実際の地名を言わせた後で、ドーンズ・ミルという架空の場所を挿入している。これらの手法からは、読者を現実世界から架空のヨクナパトーファーの世界へと徐々に誘おうとするフォークナーの意図があるだろう。その巧みさに一同が思わず感心する一幕もあった。
今回の担当範囲は、実際には一瞬で流れるはずの時間の中で、過去の様々な出来事が回想されていた。イタリック体で表記される所謂内的独白に類する部分には、本人の意識だけでなく他者の言葉も侵入・浮遊する。それらの中で、リーナの社会的地位が次第に明らかになっていくようであった。
フォークナー独特の文体に慣れず、文章の時制とその意味などを確認することに多く時間を割いたが、初心に戻って丁寧な精読を実践した回となった。(報告者:松丸彩乃)
*新学期が始まり、各自、勤務校での授業内容を報告しあい、今後の学会発表の予定を確認しあった。