1996年

フレッシュマン・セミナー D <通年>

■授業の概要

[アメリカ文化を見る・聴く・読む]
 アメリカ文化は「言葉」から成立していると言える。テープ(音声)・ヴィデオ(画像)を用いてアメリカの風景や情景にふれ、そこで発せられる数々のフレーズを読み解きながら、アメリカ人の「言葉」に対する情熱を考えてみたい。
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■テキスト/参考文献

S. K. Kitao 他 Traveling and Living in the U. S. (朝日出版)

 
 
演習 Ⅰ・ⅡP <通年>
■授業の概要

[混血とナショナリティ]

 18世紀のアメリカ独立戦争は、アメリカ国家の建設という大事業を成し遂げるための革命でもあり、「独立宣言」は国家(ナショナリティ)という概念を確立するためのテクストである。その起草者であるトマス・ジェファソンが黒人女性奴隷との間に子供をもうけていたことは、長い間タブーとしてきた話題であった。ナショナリティが白人という人種の単一性を前提として構築されてきたからである。
 白人と黒人の混血である「大統領の娘」をめぐって書かれた小説を 2 つ取り上げる。一つは、黒人逃亡奴隷の男性作家 W. W. ブラウンによって南北戦争前に書かれた『クローテル:大統領の娘』(1853)。今一つは、イェール大学出身の黒人女性詩人 B. チェイス=リボウによって書かれた『大統領の娘』(1994)である。白人のような肌をした娘が「一滴の黒人の血」により黒人/奴隷という運命を生きていくとき、アメリカという国家のアイデンティティが彼女の一生とどう関係するのかを考えたい。
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■テキスト
W. W. Brown, Clotel or the president’s Daughter (1853)
Barbara Chase-Riboud, The President’s Daughter (1994)

 
 
演習 Ⅰ・ⅡQ <通年>

■授業の概要

[サイエンス・フィクションと戦争の記憶]

 カート・ヴォネガットは未来社会を描いた『プレイヤー・ピアノ』(1952)発表以降、SF 作家として、人間社会を見る独特の視点を提供してきた。中でも『スローターハウス5』では、それまでの作品では奥底に押し込められてきた作者の戦争体験が、初めてテーマとして取り上げられている。第二次世界大戦で捕虜として体験したドレスデン爆撃は、ヴォネガットにとって、はじめのうちは言葉にすることの不可能な体験であっという。
 戦争や大災害のように人の精神に大打撃を与える出来事に遭遇したとき、人間の記憶は通常とは異なるメカニズムで稼働する。トラウマと呼ばれる精神的外傷を被ったとき、その体験を言語に移し替える作業が、サイエンス・フィクションという文学形態とどのような関係にあるのであろうか?「ドレスデンにまつわる記憶が、いかに無用の代物であったかを痛感した」というヴォネガットのテクストを使って、表象不可能な出来事を言語化するプロセスを精神分析の面からも見てみたい。
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■テキスト

Kurt Vonnegut, Welcome to the Monkey house (1966, 篠崎書林)
Kurt Vonnegut, Slaughterhouse-Five (1968)

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文学理論  <通年> 

■授業の概要

 文学をとりまく様々な問題を取り上げて、英米文学への取り組み方を紹介する。我々は文学を論じるのに、作中人物の行動や話の筋にだけ目をうばわれがちである。しかし、それを書いている作家の動機、作家にそれを書かせた社会の要請、それを読む読者の側の反応といった側面に目を移していくと、「文学をするという行為」が立体的に見えてくる。文学作品というテクストを歴史や社会というコンテクストに置いて考えてみたい。記号としての言語、歴史的事実と文学、精神分析と言語、経済活動と文学、性差(男と女)等、現代批評が問題とする項目をとりあげて解説していく。
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■授業の計画

前期: Ⅰ ロシア・フォルマリズム
    Ⅱ 読者反応理論
    Ⅲ ナラトロジー  後期: Ⅰ 精神分析批評
    Ⅱ 記号論
    Ⅲ 新歴史主義

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