第 101 回読書会 2025年5月3日(土)午前10時~午前12時
■レポーター:菅原、田浦
参加者:菅原、小宮山、髙瀬、大武、田浦、板垣
ホーソーンの短編 “Ethan Brand” を読んだ。前半では、バートラム親子のもとを訪れたイーサンの出現の仕方、“Unpardonable Sin”という言葉の出方に注目が集まった。バートラムが「許されざる罪はどこにあったのだね」と尋ねると、イーサンは「ここだ」と自分の胸を指差す。これは物語の比較的序盤である。この場面について発表者は次のように言っていた。イーサンは「沈思黙考」型のように見えたが、「単刀直入」に「さらっと」罪の在処について述べ、「軽快さ」もある。これは「肩透かし」だが「ミステリアス」でもある。「許されざる罪」とは具体的に何かという話題では、発表者が“intellect”を含んだ一文を取り上げたため、その切り口から議論が白熱したように思えた。その他、「笑いの音質」が多く含まれたテクストであるという点が耳に残った。バートラムの息子は外から聞こえる笑い声が “noise” に聞こえる。このような子ども(の感受性)の描かれ方は前半と後半を通じて話題になった点だった。
後半、発表者が作成した概要は物語ラストの “Within the ribs – strange to say – was the shape of a human heart” という有名な箇所(代表的場面?)を省略しており、その編集がむしろ興味深いという指摘があった。たしかに面白い。私は発表者がその直前にある “repose” には発表中注目していたことを読書会が終わってから気づいた。そのほか発表では、短編ひとつからホーソーンの作家性全体を触知するような指摘が多く、勉強になった。「子どもにさえ物事の真理や奥底をつかませることを許さない(並の作家はそういう筋立てをするのだが)」、「ホーソーンは人間が変化するということにこだわっている」とか、「書かれる人間の多くが謎に包まれたまま死んでいくので、読者はそれをちゃんと読んで供養したくなる」など。英語で「供養」はどう言い表すのか、イーサンとバートラム親子のどちらに心理的にコミットしてしまうか、ラストのくだり(イーサンのハートは砕かれる)は面白いかどうか、など談論風発・議論百出のひとときでありました。 (報告者:板垣真任)
*読書会後、夏合宿打ち合わせと発表練習(小宮山さん@英文学会)
*今回からズームの契約をした下河辺のアカウントで行った。40分で切れるという問題が解決した利便性を感じて4時間にわたるセッションを終えた。(下河辺記)
**2024年の年末以来、私たちはメルヴィルの短編とホーソーンの短編を2つずつ読んできました。今回の読書会で参加者から「自分なりのメルヴィル観とホーソーン観を色分けていきたい」という言葉も出てきたように、研究上有意義な期間だったと思います。次回からはまた趣を変えて、カーソン・マッカラーズの短編集 The Ballad of the Sad Café を読んでいく予定です。
第100回 2025年3月28日(金)午後2時-5時
ズームにて(40分で切れてはつなぎを繰り返した)
■発表者:大武、板垣
参加者:菅原、小宮山、板垣、田浦、大武、髙瀬
2024年12月よりHerman MelvilleとNathaniel Hawthorneの短編を交互に読んでいる。今回はMelvilleの2回目。Diptyque作品の1つである“Poor Man’s Pudding and Rich Man’s Crumbs”を読んだ。
前半の“Poor Man’s Pudding”では語り手が詩人ブランドムーア氏の提案を受けて、Coulter氏の家を訪ね、夫人が「貧者のプディング」などの食事を用意してくれる様子が描かれる。発表者の大武さんが“almoner”という単語をイラスト付きで取り上げ知識が広がった。大武さんが取り上げたセンテンスでは、家の構造が湿気をもたらす様子が詳しく描かれており、湿度と気温の低さが貧しい暮らしをより一層厳しいものにしていることがわかった。また、切ってすぐの薪を燃やしている描写があるが、薪は乾燥させたものでなければよく燃えないため、これでは家が暖まらないことが、先生の軽井沢暮らしの経験からの補足があり理解が深まった。
後半の“Rich Man’s Crumbs”では、語り手はロンドンを訪れて役人風の男に連れられ、「富者の食べ残し」をむさぼる群衆の様子を見に行く。発表者の板垣くんの前半はCoulter夫妻という個人を描き、後半は集団を描いているという前置きの通り、ロンドンへと舞台を移し、語り手のcharity見物はおのぼりさん的な雰囲気をまとっている。板垣くんの集団をあらわす単語の抽出や“might have ~”への指摘にも注目が集まった。“dress”という衣服の指摘も興味深かった。
作品全体を俯瞰すると、前半と後半では舞台がアメリカの田舎のある家庭の貧困からイギリスの都市の貧困へと大きく変化しており、それによりヨーロッパからアメリカを眺める船乗りメルヴィルの視線もうかがい知ることができた気がする。
(報告者:髙瀬祐子)
*100 回目になりました。5月以降の読書会日程を相談し、夏合宿の日程の目安もできました。