院生室

 

成蹊大学文学研究科英米文学専攻

下河辺ゼミ(大学院)

修了生および在籍者紹介

 

◆修了生の紹介

小宮山真美子 Mamiko KOMIYAMA(長野工業高等専門学校一般科)

 学問への欲求は衝撃とともにやってきました。学部2年生で「文学理論」の授業を受けているときのことです。異化作用、脱構築、トラウマの精神分析などを学び、それこそ言語を通して「見慣れたはずのものを、見慣れぬものに変える」という体験に、これまで生きてきた世界をぐるりとひっくり返されたような強い衝撃を受けました。そして青臭い二十歳の私は何かに弾かれたように下河辺先生の研究室のドアをノックし、「大学院へ行くにはどうすればいいのでしょうか」と訊ねたのです。おそらくあのとき、文学や批評を通して言葉の力を知り、心震わす身体反応として「もっと学問をしたい」と強く求めたのだと思います。

 現在は高専(高校3年+短大2年の5年教育)で理工系を専門とする学生たちに英語を教えています。雑務や業務に追われ、隙間時間にテクストを読む日々です。そんな私の心の支えは、同じ研究室で苦楽を共にした仲間たちと、今でも学会や研究会などで情報交換をしながら語り合う時間です。

 

主な研究業績:

「個人から共同体の弔いへ-“Roger Malvin’s Burial”における未完の埋葬」、『アメリカ研究』第48 号、2015, pp.119-34.

「「死」を生かすための写真術―『七破風の屋敷における』再現・表象」下河辺美智子編著『アメリカン・テロル』彩流社、2009, pp.141-64.

 

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菅原大一太 Daiichita SUGAWARA(中央学院大学現代教養学部)

 

普段、ついあれこれモノを考えてしまう性分なので、実際に研究活動をしていて、いつどのような時に研究の魅力に引き込まれたのか、具体的にはっきりとは思い出すことができません。ですが、テクストを読んでいて、これはどういうことなのだろうかと、自分なりの問題意識が出てきて、めぐりめぐってその帰結が脈絡のあるものとなったとき、ハッとします。こういうときに、まさに研究活動に引き込まれているのだなあと、いつもそう思います。そういう研究の醍醐味を感じる回数をさらに増やしていければと思っています。

 進学にしようかどうかあれこれ考えている時は、そもそもがゼミで培った、ふつふつとした灯火のような研究への熱意や面白さをベースにモノを考えていることに気付き、大学院でお世話になることを決めました。それからずいぶん時が経ちましたが、そのときの思いを忘れずにこれからも研究を続けていけたらと思っています。

 

主な研究業績:

「凪と風の動作性-Herman Melville, “Benito Cereno”における風景描写について」『成蹊人文研究』第15号、2007, pp.33-43.

 

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高瀬祐子 Yuko TAKASE(静岡大学)

 

私が研究者を志す決心をしたのは、修士論文を書き終え、高校の非常勤講師として働きはじめて半年経った頃でした。ふとした瞬間にゼミや修論指導で毎日のように通っていた先生の研究室の情景が脳裏をよぎるようになりました。「懐かしい」という感情とは異なり、まるでフラッシュバックのように研究室の映像がよみがえり、私は自分がいかにあの空間を求めているのか実感しました。私にとってゼミという空間は、子供の頃から読んでいた文学作品が、紙の上のインクの染みという二次元から飛び出して立体的になり、国家や社会と結びつき変貌を遂げる瞬間を体感する場でした。それが感覚として体に染みつき、その感覚を求める衝動が、研究室の映像を頭の中によみがえらせるという現象を引き起こしたのかもしれません。

あれから10年が過ぎ、研究者の端くれとなった今も文学作品が立体的に変貌を遂げる瞬間を求めてテキストに向かう毎日を過ごしています。

 

主な研究業績:

「遺された家と消える家―「アッシャー家の崩壊」に見るネイティブアメリカン」『ポー研究』第7号、2015, pp.23-37.

「「バートルビー」におけるサブタイトルの謎―「バートルビー」はなぜ「ウォール街の物語」なのか」『静岡大学教育研究』第10号、2014. pp.123-30.

「母の息子から国家の父へ―A Romance of the Republicにおけるキングの変貌」『成蹊人文研究』第21号、2013, pp.31-45.

 

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大武佑 Yu OTAKE(茨城工業高等専門学校人文科学科)

 

現在、「英語を教えること」と「アメリカ文学を研究すること」のふたつを工業高等専門学校という場所でしています。ことばを教えることも、ことばを読み解くことも、明確な終わりの見えない作業です。それが苦しくも楽しいところですが、この作業に苦しんでいる時が一番「自分らしい」のだと気づくまでに時間がかかりました。研究をしていこうと決めるまでは、営業として東京中を歩きまわったり、中学校や高校で働いたりしましたが、卒論を書いている時に味わった感覚が忘れられず、今に至っています。

専門はハーマン・メルヴィル作品です。初めて「論文」というものを書いた学部の卒業論文以来、「侵入」というテーマが常に私の研究の手がかりになっています。19世紀のアメリカの小説を読むことで、21世紀の日本人である私は、ことばの持つ手触りや、身を切られるような切迫感やきらめきを、実感をもって感じています。

 

主な研究業績:

「『魔法群島』が見張る太平洋:逆転する地獄と楽園の遺物」『アメリカ研究』第49号、2015, pp.157-176.

「ハーマン・メルヴィル『ベニト・セレノ』におけるリーダーの脆弱性:バボが振りかざす二本目の短刀」『アメリカン・ヴァイオレンス:見える暴力・見えない暴力』権田健二、下河辺美知子編著、彩流社、2013, pp.39-64.

 

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◆大学院生の紹介

 

板垣真任 Masato ITAGAKI (博士後期課程1年)

 

 下河辺ゼミの特徴は、発表する内容に対してだけではなく、その伝え方、聞き方についてとても厳しいということが挙げられます。私はこれまで声の出し方、人の話の聞き方について沢山の指導を受けました。今でも私はそれを大工さんや寿司屋さんの修行のように長い時間をかけて磨いているといえます。

 

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田浦紘一朗 Koichiro TAURA (博士前期課程2年)

 

「知識欲とは人類普遍の感情であり、堕落していない人間は誰でも、知識を得るためならば進んで持てるものすべてを手放すだろう」と1763年あたりのサミュエル・ジョンソンが言ったらしい、とジェイムズ・ボズウェルは伝えておりますが、持てるものすべてをうっちゃって、2012年に大学を離れたわたしは、現実としての厳しい社会に打ちのめされました。どんなに小説を読んでも、映画を見漁っても、知識を得るだけの手頃なよろこびから少しだけ遠く離れて、辛くも愉しい学問を開始するには、厳しい現実の大学院こそが必要だったのです。わたしはいま、19世紀の作家、ハーマン・メルヴィルの研究をしています。研究室と辞書と図書館に縛られた世界はとても狭いようにみえて、ときに人をリオデジャネイロの古本屋にまで到達させる魔力を持っています。叱咤と激励渦巻く下河辺ゼミは、ノックせずとも、常に学問の扉が開かれているような、そんな気がします。

 

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徳永裕 Yu TOKUNAGA (博士前期課程1年)

 

私が下河辺先生と初めて出会ったのは、学部二年秋期必修科目の『アメリカ文学史』という授業でした。それまで「知識・教養」としか感じられなかった文学の世界から、「学問」としての文学の世界を垣間見るきっかけを与えていただきました。下河辺学派の特性をひとつ挙げるとすれば、それは「人の話を聞く」という一見簡単で当たり前のようなことです。先生のゼミに入りたての頃、耳に残った発表者の言葉をそのまま繰り返す「レスポンス」にたいへん苦心したことは今でも覚えています。私は無意識のうちに他人の言語を自分の言語に「置換」してしまったり、「剽窃」してしまっていました。ですから私にとって「聞く」ということは文学研究の第一歩であり、今でも欠かすことの出来ない大切な姿勢だと感じています。「文学研究は芸事」という先生(師匠)のもとで、ひとつでも多くの「芸を盗み」ながら、自分と文学をつなぐ琴線にふれていきたいと思います。

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◆修士論文リスト

 

上尾栄美子

A Study of Farewell to Armes; “What Did Catherine Die for?”(1998年)

小宮山真美子

A Study of The Scarlet Letter, “Voice and Sympathy”(2000年)

小島 弘美

A Study of The Scarlet Letter, Reading / Deciphering “Mystery” as a Text (2001年)

菅原大一太

A Study of “Benito Cereno”; What is Revelation? (2002年)

高瀬裕子

Inheritance and Reproduction in The House of the Seven Gables; An Empty House as a Metaphor of America (2005年)

大武佑

A Study of Truman Capote’s Other Voices, Other Rooms: The Source of Security (2009年)

田中普紀子

Leviathan as a Metaphor of Book; Unifying Pieces into a Whole (2011年)

曽山誠

Laugher and Fear in Their Eyes Were Watching God (2012年)

加藤晶子

A Study of Deadeye Dick; The Mourning for the Lost (2013年)

板垣真任

A Study of “Billy Budd, Sailor”; Voice and Violence (2015年)

田浦紘一朗

The Whaling Business in Moby-Dick; Melville’s Blubber (2016年)

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◆メッセージ

 

アメリカ文学・文化の看板をしょいつつ、世界を読み、考えるためのエッセンスはテレビドラマからラカンまで縦横無尽。今日の批評を交えつつ、虚心坦懐な精読を忘れず、下河辺ゼミでは各自が関心を広げ、深めています。近年ではハーマン・メルヴィルの『レッドバーン』(2016年度)、『白鯨』(2015年度)、『タイピー』(2014年度)そして「魔法群島」(2013年度)などをテクストにしてゼミを行ってきました。過去には「コロヌスのオイディプス」、「アンティゴネ」、「オイディプス王」の全三部作、ホーソンの短編作品、そして『緋文字』『七破風の屋敷』、その他19世紀作品であれば『マクティーグ』『目覚め』等を読んできました。また修了生と現役の院生が共同してテクストを読んでいく読書会も月に一度の欠かせない行事です。どのようなテクストに着手してきたかは該当ページをご覧ください。

私たちが住む世界の脈絡を掴みたい方、ぜひいらしてください。参加メンバーは常時募集中!

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